2026.5.10
今日は母の日
2026年の母の日はいつ?
2026年の母の日は5月10日(日)。毎年、母の日は5月の第2日曜日で、ゴールデンウィークが空けてすぐの5月の初旬~中旬頃です。温かく過ごしやすい春の季節にやってきます。
母の日は毎年5月第2日曜日という事は決まっていますが、毎年日付や曜日が変わるため、たいてい「今年の母の日っていつだっけ?」と混乱してしまいますよね。せっかくお祝いしようと思っていたのに、うっかりしていると「母の日が終わっちゃった!」などということもありますので、注意が必要です。
うっかり忘れを予防するためには、「今年の母の日はいつだろう?」と思った時すぐに、カレンダーで5月第2日曜日を確認して、あらかじめ印をつけたり、スマートフォン等のスケジューラに登録しておきましょう。また、毎年5月上旬頃のゴールデンウィークが明けてすぐなので、ゴールデンウィークの内に母の日にどんな事をするかなど、早めに計画をしておくとよいでしょう。母の日用のギフトは、3月~4月頃から販売を始めているお店も多いので、あらかじめ何をプレゼントしようかチェックしておくと、ギリギリになって焦る事もありません。
年に1度、お世話になってきたお母さんに日頃の感謝を伝える日。誕生日と同じくらい大切にしたい記念日とも言えます。ご家族や兄弟にも相談をして、思い出に残る素敵な母の日を過ごせるよう、計画してみてはいかがでしょう。

母の日のはじまりを知っていますか?

5月の第2日曜日は「母の日」。
誰もが知っている行事ですが、母の日を祝う習慣はどのようにして生まれたかご存じでしょうか。その起源には諸説ありますが、よく知られているのは「100年ほど前のアメリカ・ウェストヴァージニア州で、アンナ・ジャービスという女性が亡き母を追悼するため、1908年5月10日にグラフトンの教会で白いカーネーションを配ったのが始まり」という話です。
この風習は1910年、ウェストヴァージニア州の知事が5月第2日曜日を母の日にすると宣言し、やがてアメリカ全土に広まっていき、1914年には5月の第2日曜日が「母の日」と制定されました。
ちなみに、日本で初めて母の日のイベントが行われたのは明治末期頃。1915年(大正4年)には教会で お祝いの行事が催されるようになり、徐々に民間に広まっていったと伝えられています。
母の日は、長い歴史の中でカーネーションを贈る日と定着していますが、日頃の母の苦労をいたわり母へ感謝を表す日でもあります。

母の日にちなんでカーネーションを施設で飾っています。
母の日にカーネーションを贈るのは、アメリカのアンナ・ジャービスが亡き母をしのんで白いカーネーションを配ったことがきっかけで、その習慣が日本にも伝わり、感謝や愛情を象徴する花として定着したためです。

日本での広まりと色の意味
日本には大正時代にキリスト教会などを通じて伝わり、戦後に一般家庭にも広まりました。
当初は、亡くなった母には白、健在の母には赤を胸に飾る習慣がありました。
子どもの心情への配慮から、日本では1960年頃に「贈る花は赤を中心に」とする考え方が広がったとされています。
カーネーションの原産地
カーネーションの起源は、地中海沿岸(特にギリシャ・イタリア周辺)原産のナデシコ科の多年草で、古代ギリシャ・ローマ時代から観賞用として栽培され、のちにヨーロッパ各地へ広まり、近代に品種改良が進んで現在の多彩な園芸品種が生まれたとされます。

カーネーションは神の花
地中海沿岸原産のナデシコ科ナデシコ属の植物だが、切り花の生産量がキク、バラと並んで多く、世界の三大花卉の一つとされる。日本でも2番目に出荷本数が多い品目だが、世間に広く普及しているだけに珍しくはなく、ある意味カジュアルで価格も安め、気軽に扱える花でもある。
だが、古くはカーネーションは「神の花」だったことを知っているだろうか。ただし時代とともに花のイメージも移り変わり、色も姿形も変化して、また花言葉も数多くなっていった。
カーネーションが町にあふれる日を前に、そんな逸話を紹介しよう。
かつてギリシャでは、カーネーションをディオス・アンサスと呼んだ。これを直訳すると、「神の花」となる。当時は野生の花で小さく地味だったのに、なぜ神の花と呼ばれたのかは定かではない。ただギリシャ神話にはカーネーションに相当する花も登場する。女神が自分をふった人間の若者の目をえぐって投げ捨てると、そこから生えたのが(カーネーションの原種の)ナデシコだという。花言葉にするにはえぐいエピソードだ。
さらに中世ヨーロッパでは、カーネーションがキリストの十字架の死の象徴として絵画で扱われた。これも、若干ぞっとする。
その後マリアの愛の象徴へとなって教会で多用されるようになる。さらにオスマントルコ帝国では、生命の象徴として扱われ、陶器や刺繍のモチーフにも使われるようになる。少しずつ、花の価値が高まってきたようだ。
18世紀になると、カーネーションは代を重ねると多くの色や姿形の変異を生じさせたため「異端の花」とされた。当時は交配や育種の理論が根付いていなかったので、次々と変異して姿や色のちがうカーネーションが誕生することを嘆いたのかもしれない。
やがてヨーロッパの宮廷で重宝されて、華やかな貴婦人に好まれたことから「王妃の花」へと“昇格”する。イギリスのビクトリア朝時代では、白いカーネーションが、純粋、幸運、無垢、献身などの意味を表すとしてもっとも尊ばれた。
一方で赤いカーネーションが、愛情とともに革命と戦争、社会主義を示すようになり、メーデーなどでよく使われて、「労働争議のシンボル」となっていく。赤色からの連想だろうか。
そんな風潮の中で「母の日」が生まれた。
きっかけは、子どもたちの衛生環境を改善する運動をしていたアメリカ人の女性社会活動家アン・ジャービスが亡くなったこと。それから2年目の1907年5月12日に、娘のアンナ・ジャービスは、亡き母を讃え教会で追悼集会を開き、祭壇に母が好きだった白いカーネーションを飾り、会の参列者にも贈った。
これが世間に広がり、翌年の5月10日が「母の日」として広がる。1914年にはアメリカで5月の第2日曜日を「母の日」に制定した。そして白いカーネーションが「母の日」に贈る花となった。
ところが白いカーネーションが品不足となったうえ「亡くなった母」に贈るというイメージが持たれるようになったため、「母を亡くした人は白いカーネーション、母が健在の人は赤いカーネーション」と区別するようになった。
その後、「白いカーネーションの子どもは母を亡くしていると示してしまい、気持ちを傷つける」と懸念され、みんな赤いカーネーションを贈るように変更されて定着した。
ところでカーネーションの色は、赤と白のほか、黄やピンク、オレンジ、ブラウン、黒、紫……など数多い。交配で変異が比較的よく出るうえ、緑や青など人工的につくられたものもある。それに合わせて花言葉も考えられる。
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2026年の母の日は5月10日(日)。毎年、母の日は5月の第2日曜日で、ゴールデンウィークが空けてすぐの5月の初旬~中旬頃です。温かく過ごしやすい春の季節にやってきます。
母の日は毎年5月第2日曜日という事は決まっていますが、毎年日付や曜日が変わるため、たいてい「今年の母の日っていつだっけ?」と混乱してしまいますよね。せっかくお祝いしようと思っていたのに、うっかりしていると「母の日が終わっちゃった!」などということもありますので、注意が必要です。
うっかり忘れを予防するためには、「今年の母の日はいつだろう?」と思った時すぐに、カレンダーで5月第2日曜日を確認して、あらかじめ印をつけたり、スマートフォン等のスケジューラに登録しておきましょう。また、毎年5月上旬頃のゴールデンウィークが明けてすぐなので、ゴールデンウィークの内に母の日にどんな事をするかなど、早めに計画をしておくとよいでしょう。母の日用のギフトは、3月~4月頃から販売を始めているお店も多いので、あらかじめ何をプレゼントしようかチェックしておくと、ギリギリになって焦る事もありません。
年に1度、お世話になってきたお母さんに日頃の感謝を伝える日。誕生日と同じくらい大切にしたい記念日とも言えます。ご家族や兄弟にも相談をして、思い出に残る素敵な母の日を過ごせるよう、計画してみてはいかがでしょう。

母の日のはじまりを知っていますか?

5月の第2日曜日は「母の日」。
誰もが知っている行事ですが、母の日を祝う習慣はどのようにして生まれたかご存じでしょうか。その起源には諸説ありますが、よく知られているのは「100年ほど前のアメリカ・ウェストヴァージニア州で、アンナ・ジャービスという女性が亡き母を追悼するため、1908年5月10日にグラフトンの教会で白いカーネーションを配ったのが始まり」という話です。
この風習は1910年、ウェストヴァージニア州の知事が5月第2日曜日を母の日にすると宣言し、やがてアメリカ全土に広まっていき、1914年には5月の第2日曜日が「母の日」と制定されました。
ちなみに、日本で初めて母の日のイベントが行われたのは明治末期頃。1915年(大正4年)には教会で お祝いの行事が催されるようになり、徐々に民間に広まっていったと伝えられています。
母の日は、長い歴史の中でカーネーションを贈る日と定着していますが、日頃の母の苦労をいたわり母へ感謝を表す日でもあります。

母の日にちなんでカーネーションを施設で飾っています。
母の日にカーネーションを贈るのは、アメリカのアンナ・ジャービスが亡き母をしのんで白いカーネーションを配ったことがきっかけで、その習慣が日本にも伝わり、感謝や愛情を象徴する花として定着したためです。

日本での広まりと色の意味
日本には大正時代にキリスト教会などを通じて伝わり、戦後に一般家庭にも広まりました。
当初は、亡くなった母には白、健在の母には赤を胸に飾る習慣がありました。
子どもの心情への配慮から、日本では1960年頃に「贈る花は赤を中心に」とする考え方が広がったとされています。
カーネーションの原産地
カーネーションの起源は、地中海沿岸(特にギリシャ・イタリア周辺)原産のナデシコ科の多年草で、古代ギリシャ・ローマ時代から観賞用として栽培され、のちにヨーロッパ各地へ広まり、近代に品種改良が進んで現在の多彩な園芸品種が生まれたとされます。

カーネーションは神の花
地中海沿岸原産のナデシコ科ナデシコ属の植物だが、切り花の生産量がキク、バラと並んで多く、世界の三大花卉の一つとされる。日本でも2番目に出荷本数が多い品目だが、世間に広く普及しているだけに珍しくはなく、ある意味カジュアルで価格も安め、気軽に扱える花でもある。
だが、古くはカーネーションは「神の花」だったことを知っているだろうか。ただし時代とともに花のイメージも移り変わり、色も姿形も変化して、また花言葉も数多くなっていった。
カーネーションが町にあふれる日を前に、そんな逸話を紹介しよう。
かつてギリシャでは、カーネーションをディオス・アンサスと呼んだ。これを直訳すると、「神の花」となる。当時は野生の花で小さく地味だったのに、なぜ神の花と呼ばれたのかは定かではない。ただギリシャ神話にはカーネーションに相当する花も登場する。女神が自分をふった人間の若者の目をえぐって投げ捨てると、そこから生えたのが(カーネーションの原種の)ナデシコだという。花言葉にするにはえぐいエピソードだ。
さらに中世ヨーロッパでは、カーネーションがキリストの十字架の死の象徴として絵画で扱われた。これも、若干ぞっとする。
その後マリアの愛の象徴へとなって教会で多用されるようになる。さらにオスマントルコ帝国では、生命の象徴として扱われ、陶器や刺繍のモチーフにも使われるようになる。少しずつ、花の価値が高まってきたようだ。
18世紀になると、カーネーションは代を重ねると多くの色や姿形の変異を生じさせたため「異端の花」とされた。当時は交配や育種の理論が根付いていなかったので、次々と変異して姿や色のちがうカーネーションが誕生することを嘆いたのかもしれない。
やがてヨーロッパの宮廷で重宝されて、華やかな貴婦人に好まれたことから「王妃の花」へと“昇格”する。イギリスのビクトリア朝時代では、白いカーネーションが、純粋、幸運、無垢、献身などの意味を表すとしてもっとも尊ばれた。
一方で赤いカーネーションが、愛情とともに革命と戦争、社会主義を示すようになり、メーデーなどでよく使われて、「労働争議のシンボル」となっていく。赤色からの連想だろうか。
そんな風潮の中で「母の日」が生まれた。
きっかけは、子どもたちの衛生環境を改善する運動をしていたアメリカ人の女性社会活動家アン・ジャービスが亡くなったこと。それから2年目の1907年5月12日に、娘のアンナ・ジャービスは、亡き母を讃え教会で追悼集会を開き、祭壇に母が好きだった白いカーネーションを飾り、会の参列者にも贈った。
これが世間に広がり、翌年の5月10日が「母の日」として広がる。1914年にはアメリカで5月の第2日曜日を「母の日」に制定した。そして白いカーネーションが「母の日」に贈る花となった。
ところが白いカーネーションが品不足となったうえ「亡くなった母」に贈るというイメージが持たれるようになったため、「母を亡くした人は白いカーネーション、母が健在の人は赤いカーネーション」と区別するようになった。
その後、「白いカーネーションの子どもは母を亡くしていると示してしまい、気持ちを傷つける」と懸念され、みんな赤いカーネーションを贈るように変更されて定着した。
ところでカーネーションの色は、赤と白のほか、黄やピンク、オレンジ、ブラウン、黒、紫……など数多い。交配で変異が比較的よく出るうえ、緑や青など人工的につくられたものもある。それに合わせて花言葉も考えられる。

