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松本清張の命日

戦後日本を代表する作家と評される、松本清張。1992年8月4日がその命日で、83歳の生涯でした。その人生は華々しいものではありませんでした。

高等小学校卒と人見知りというコンプレックスを常に抱えていました。父親は定職に就かず母親は文盲で、家計を助けるため高等小学校を卒業すると働かざるを得ない環境。

しかし父親の影響で幼いころから新聞を読み、孤独を紛らわすため読書に耽ったことが後の作家人生に繋がります。

42歳の時、処女作『西郷札』で作家デビュー。生い立ちに起因するのか、松本清張の作品は暗く後味が悪いものが多いと思います。

不幸な結末が登場人物に負わされた運命と言えます。処女作「西郷札」では結末は書かれていませんが、読者の推理で多いのは主人公樋村雄吾
は自殺したか、暗殺されたのではないか。

義妹、塚村季乃
も雄吾とは一緒になれず不幸な人生をおくった。

半生を貧しく生きた「松本清張」



松本清張賞として、社会派やミステリー小説で知られる松本清張の名を冠した文学賞が制定されました。1993年に「公益財団法人日本文学振興会」が創設し、運営には「文藝春秋」も関わっています。

日本推理作家協会も選考に協力しており、公正で専門的な審査が行われているのも大きな特徴です。


清張の作品は今でも時々作品がドラマ化されており、多くの方が一度はその作品に触れたことがあるのでは。 清張の出身地といわれ、代表作「点と線」をはじめ、さまざまな作品の舞台になっている福岡県北九州市で、松本清張ゆかりの地を巡ります。

松本清張記念館



松本清張記念館は、松本清張の偉大な業績の顧彰を目的に 1998年8月4日に、故郷の北九州市小倉の地に開館しました。

記念館では単なる資料の展示館ではなく、清張の「人と作品」の研究の推進・奨励と後継者の育成を目指す「研究センター事業」と、その魅力を広く紹介する「普及事業」との2つの大きな柱を軸に多彩な活動を展開しています。


国鉄香椎駅(「点と線」で登場)



「…鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る
…」(「点と線」)

松本清張の自伝「半生の記」には、父・峯太郎の出身から筆を起こし、下関での幼年期、小倉に移ってからの、川北電気小倉出張所での給仕、高崎印刷所などでの石板職人、広告版下描きとしての契約から始まった朝日新聞西部支社勤務、朝鮮での兵役を経て、戦後の箒の卸売のアルバイト、1950年頃までの、父母・祖母・妻子との生活が描かれている。

下関市・みもすそ川公園「半生の記」文学碑


1996年、下関市のみもすそ川公園に、本作の一節を刻んだ文学碑が竣工した。中央に開いた穴から海峡側をのぞくと、関門海峡を挟んだ対岸にある和布刈神社(『時間の習俗』の舞台)を望むことができ、山側をのぞくと、幼年期の清張が住んでいた家の付近を見る趣向となっている。

両面に刻まれた文章は異なっており、この趣向に合った箇所が引用されているが、共に作中「父の故郷」からの引用である。


点在する清張ゆかりの地

壇ノ浦



関門海峡越しに望む旧壇ノ浦(現在のみもすそ川公園付近)に、1歳の清張が下関市内で最初に住んだ街道沿いの家があった。

「裏はすぐ海になっているので、家の裏の半分は石垣からはみ出て海に打った杭の上に載っていた」(「父の故郷」)。


博多の島井オフセット



「小倉の小さな印刷所にいては私の腕は上らないので、その頃、九州で一ばん大きい博多の島井オフセット印刷所に移った」(「見習い時代」)。清張の勤務した嶋井精華堂印刷所は島井宗室の末裔が経営し、現在は島井宗室の石碑が残る。

 
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