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長崎原爆投下80年

長崎「焼き場に立つ少年」

2025年は太平洋戦争が終わってから80年目の年にあたります。80年前の8月6日広島、8月9日長崎と2回目の原爆が投下されました。

日本は、世界で唯一つの原子爆弾の被爆国です。当時アメリカ軍の兵士だったジョー・オダネルさんは、被爆直後の長崎で、「焼き場に立つ少年」をカメラにおさめました。オダネルさんの遺志と写真を受け継ぎ、戦争の残酷さと平和の大切さを訴え続けている男性が盛岡にいます。

原爆直後の長崎で撮影された写真、「焼き場に立つ少年」です。幼い男の子が火葬場に裸足で立っています。おぶった弟の亡骸を焼こうと、順番を待っています。

元アメリカ軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネルさんが撮影しました。当時をこう思い返しています。
「石灰がまかれた焼き場に、10歳くらいの少年がやってきた。マスクをした係員は背中の幼児をおろし、燃え盛る火の上に乗せた。あまりにも深い悲しみが立ち込めていて、少年の後姿を見送ることしかできなかった」


2019年11月24日長崎市フランシスコ教皇

これから70年余りが経った2019年。全てのカトリック教徒の指導者・ローマ教皇が長崎を訪れた際、「焼き場に立つ少年」は、教皇の隣に飾られました。

ローマ教皇
「核兵器から解放された平和な世界。それはあらゆる場所で数えきれないほどの人が熱望していることです」

原爆にさらされた2つの幼い命は、平和を望む世界的なシンボルになりました。

1945年、終戦の翌月。この時ジョー・オダネルさん、23歳。佐世保から日本に上陸し、長崎市に入りました。

日本の被害や人の様子をカメラにおさめ、軍の記録にする任務を負っていました。


『長崎―閃光の影で―』原爆というテーマ

1945年、原爆投下直後の長崎で、若き看護学生たちが命を救おうと奔走していた――日本赤十字社の看護師たちによる手記「閃光の影で-原爆被爆者救護赤十字看護婦の手記―」を原案に、当時看護学生だった少女たちの視点から原爆投下という悲劇を描いた感動作が誕生した。

手記に記された体験をもとに脚色を加えながら生み出された3人の少女たちを演じるのは、菊池日菜子、小野花梨、川床明日香といったフレッシュな新鋭。医療態勢もままならない状況下で命と向き合い続けた一カ月に及ぶ救護活動の日々が、スクリーンに克明に刻まれる。

また、長崎原爆投下の前日を描いた名作『TOMORROW 明日』の南果歩が、30年以上の時を経て再び長崎の物語に重要な役どころで出演。さらに、本作の原案にも体験を寄せた元看護学生のひとりである山下フジヱさんが特別出演し、その山下さんの思いを長崎出身の被爆者・美輪明宏が語りとして声で体現する。

主題歌は、長崎出身の福山雅治が被爆クスノキを題材にした「クスノキ-閃光の影で-」のプロデュース・ディレクションを担当。

2025年を生きる私たちと同じように、家族、友人、恋人、ささやかな喜び、そして夢があった。しかし、その“青春”は一瞬で奪われた――。それでも未来を諦めなかった彼女たちの姿は、戦後の現代に生きる私たちに深い問いを投げかけるだろう。



原爆投下から80年。昨年は日本被団協が初のノーベル賞でやっと認められた「ヒバクシャの声」。それでも「核なき世界」が遠のく理由



今年は広島、長崎への原爆投下から80年。昨年、2024年には日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞した。ようやく被爆者たちの草の根運動が届いた一方で、今現在、世界の核を巡る事情はむしろ後退している。
本記事は『知らないと恥をかく世界の大問題16』より一部抜粋・再編集。私たちは今、唯一の被爆国として何ができるのだろうか。

■日本被団協がノーベル平和賞

2024年のノーベル平和賞を受賞したのは、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)でした。2025年は被爆から80年たちます。その前年に受賞した日本被団協。受賞理由は、「ヒバクシャ」として知られる、広島、長崎の被爆者らの草の根運動による核廃絶への努力、また核兵器を再び使用させないための証言活動を継続してきたことでした。

私はこのニュースを知ったとき、「ああ、まだ受賞していなかったんだ」と思いました。1956年の結成以来、長きにわたり、「核なき世界」を訴え続けてきたのに遅すぎます。最初に核廃絶でノーベル平和賞をもらったのは「パグウォッシュ会議」(1995年)でした。これは、各国の科学者が軍縮・平和問題を討論する国際会議で学者たちの集まりです。
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