2026.4.13
イザナギプレート
「古事記」の天地開闢物語に出てくる神様「イザナギ」の名前に由来する、地殻が日本近海にありました。「イザナギプレート」と呼ばれています。今後予想される「南海トラフ巨大地震」など日本に地震が多い理由がこのプレートによるものです。
イザナギプレート

約1億8000万年前のパンサラッサ海の地図。イザナギ、ファラロン、フェニックスという3つのプレートの位置が示されている。
イザナギプレート(Izanagi Plate)は、後期白亜紀に存在したプレートの一つ。日本列島の原型を作ったため、日本神話で日本列島を作った神伊弉諾尊に由来した名をつけられた。
1億3千万 - 1億年前に、現在の北西太平洋に相当する地域に存在した。アジア大陸に衝突しながら北東に運動したため多くの横ずれ断層を発生させた。中央構造線もその一つである。現在の中国南部付近にあった島を移動させ、中国北東部に衝突させた。これが日本列島の原型である。西日本の地質(たとえば三波川変成帯)に大きな影響を与え、現在の北海道の中央を縦断していた。
その後イザナギプレートは北西に向かって運動し始め、年に20 - 30 cmという速いスピードでユーラシアプレートの下に沈み込んだ。約2千5百万年前頃には完全に埋没して消滅した。イザナギプレートの消滅後は、北から北米プレート、東から太平洋プレート、南からはフィリピン海プレートがそれぞれ押し寄せている。
中央構造線のはじまり
中央構造線と糸魚川静岡構造線

日本には「中央構造線」と「糸魚川静岡構造線」の二つの大きな構造線があります。
構造線(こうぞうせん、Tectonic Line)とは、地層群や地塊の境界を指す地質学の用語で、大規模な断層の一種です。
構造線は、地殻変動によって形成された大規模な断層線であり、隣接する地質構造が著しく異なる特徴があります。活動していないものも多く存在するため、必ずしも活断層とは限りません。
日本の主な構造線には、以下のようなものがあります。
・中央構造線(Median Tectonic Line MTL):九州から四国、中部地方を経て関東地方まで続く、日本最大級の断層です。西南日本を内帯と外帯に区分する役割を持っています。
・糸魚川-静岡構造線(ISTL):西南日本とフォッサマグナの西縁を隔てる構造線です。
・フォッサマグナ:広い視点で見ると構造帯(Tectonic Line)と呼ばれることもあり、構造線よりも広範囲な地質帯を指します。
これらの構造線は、日本の複雑な地質構造を理解する上で重要な要素となっています。
糸魚川-静岡構造線

糸魚川-静岡構造線は、日本列島を地質学的な東北日本と西南日本に分ける断層だんそうであり、フォッサマグナの西側の境界きょうかい断層でもあります。また、この断層は、北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界とも考えられていますが、両プレートの境界については、いくつかの説があります。
糸魚川-静岡構造線の断層は、山梨県早川町はやかわちょう、山梨県北杜市ほくとしなどで見学することができますが、フォッサマグナパークでは遊歩道や解説板かいせつばんが整備せいびされ、もっとも気軽に見学できます。
日本を分断する中央構造線

白亜紀の東アジアに形成された横ずれ断層群(大塚勉原図に加筆)
①タンルー断層
②シホテアリン断層
③華南断層
④中央構造線
東アジアには、白亜紀に形成された大規模な横ずれ断層群が見られます。これらの断層は、中国山東省のタンチョンと安徽省のルーチアンを結ぶ「タンルー断層」の名をとって「タンルー断層系」と呼ばれます。のちに中央構造線になった断層も、タンルー断層系の一部として始まったと考えられます。
これらの断層ができた当時は、日本海はまだなく、日本列島はアジア大陸の一部です。中央構造線の位置も、当時は、この現在の地図とはちがいます。
中央構造線は、当初は左横ずれ断層運動をしていた!

上図の黄色い部分がジュラ紀付加体
白亜紀前期にアジア大陸東縁には、「イザナギプレート」が南から北へ、速い速度(たとえば20cm/年)で沈み込んでいました。イザナギプレートは、アジア大陸の下に完全に沈み込んでしまい、いまは地表には存在していません。白亜紀後期には、イザナギプレートと太平洋プレートの境だった中央海嶺が沈み込み、それ以後は太平洋プレートが沈み込んでいます。なおフィリピン海プレートは、古第三紀に赤道付近で生まれ、西南日本の沖合まで移動してきて沈み込み始めたのは新第三紀のことです。
イザナギプレートが、大陸の縁に対して斜めに沈み込んでいたため、大陸の縁に北へ引きずる力がかかりました。そのため大陸の東部に、何列もの左横ずれ断層群ができました。
現在のジュラ紀付加体の分布をみると、大陸北東部に片寄っています。大陸東縁のジュラ紀付加体の内部にも横ずれ断層ができ、それらの断層によりジュラ紀付加体のうち海溝寄りの部分が北へずらされていったという考えがあります。この図は、日本列島でも、ジュラ紀付加体をずらした断層は、中央構造線の前身だけでなく何列かあったという考えで描かれています。
(現在のジュラ紀付加体が、もともとどこにあったかは、描かれていません。外帯と内帯の、ジュラ紀付加体の食いちがい量は、研究者により100km~2000kmまで、見積もりに大きな違いがあります。
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イザナギプレート

約1億8000万年前のパンサラッサ海の地図。イザナギ、ファラロン、フェニックスという3つのプレートの位置が示されている。
イザナギプレート(Izanagi Plate)は、後期白亜紀に存在したプレートの一つ。日本列島の原型を作ったため、日本神話で日本列島を作った神伊弉諾尊に由来した名をつけられた。
1億3千万 - 1億年前に、現在の北西太平洋に相当する地域に存在した。アジア大陸に衝突しながら北東に運動したため多くの横ずれ断層を発生させた。中央構造線もその一つである。現在の中国南部付近にあった島を移動させ、中国北東部に衝突させた。これが日本列島の原型である。西日本の地質(たとえば三波川変成帯)に大きな影響を与え、現在の北海道の中央を縦断していた。
その後イザナギプレートは北西に向かって運動し始め、年に20 - 30 cmという速いスピードでユーラシアプレートの下に沈み込んだ。約2千5百万年前頃には完全に埋没して消滅した。イザナギプレートの消滅後は、北から北米プレート、東から太平洋プレート、南からはフィリピン海プレートがそれぞれ押し寄せている。
中央構造線のはじまり
中央構造線と糸魚川静岡構造線

日本には「中央構造線」と「糸魚川静岡構造線」の二つの大きな構造線があります。
構造線(こうぞうせん、Tectonic Line)とは、地層群や地塊の境界を指す地質学の用語で、大規模な断層の一種です。
構造線は、地殻変動によって形成された大規模な断層線であり、隣接する地質構造が著しく異なる特徴があります。活動していないものも多く存在するため、必ずしも活断層とは限りません。
日本の主な構造線には、以下のようなものがあります。
・中央構造線(Median Tectonic Line MTL):九州から四国、中部地方を経て関東地方まで続く、日本最大級の断層です。西南日本を内帯と外帯に区分する役割を持っています。
・糸魚川-静岡構造線(ISTL):西南日本とフォッサマグナの西縁を隔てる構造線です。
・フォッサマグナ:広い視点で見ると構造帯(Tectonic Line)と呼ばれることもあり、構造線よりも広範囲な地質帯を指します。
これらの構造線は、日本の複雑な地質構造を理解する上で重要な要素となっています。
糸魚川-静岡構造線

糸魚川-静岡構造線は、日本列島を地質学的な東北日本と西南日本に分ける断層だんそうであり、フォッサマグナの西側の境界きょうかい断層でもあります。また、この断層は、北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界とも考えられていますが、両プレートの境界については、いくつかの説があります。
糸魚川-静岡構造線の断層は、山梨県早川町はやかわちょう、山梨県北杜市ほくとしなどで見学することができますが、フォッサマグナパークでは遊歩道や解説板かいせつばんが整備せいびされ、もっとも気軽に見学できます。
日本を分断する中央構造線

白亜紀の東アジアに形成された横ずれ断層群(大塚勉原図に加筆)
①タンルー断層
②シホテアリン断層
③華南断層
④中央構造線
東アジアには、白亜紀に形成された大規模な横ずれ断層群が見られます。これらの断層は、中国山東省のタンチョンと安徽省のルーチアンを結ぶ「タンルー断層」の名をとって「タンルー断層系」と呼ばれます。のちに中央構造線になった断層も、タンルー断層系の一部として始まったと考えられます。
これらの断層ができた当時は、日本海はまだなく、日本列島はアジア大陸の一部です。中央構造線の位置も、当時は、この現在の地図とはちがいます。
中央構造線は、当初は左横ずれ断層運動をしていた!

上図の黄色い部分がジュラ紀付加体
白亜紀前期にアジア大陸東縁には、「イザナギプレート」が南から北へ、速い速度(たとえば20cm/年)で沈み込んでいました。イザナギプレートは、アジア大陸の下に完全に沈み込んでしまい、いまは地表には存在していません。白亜紀後期には、イザナギプレートと太平洋プレートの境だった中央海嶺が沈み込み、それ以後は太平洋プレートが沈み込んでいます。なおフィリピン海プレートは、古第三紀に赤道付近で生まれ、西南日本の沖合まで移動してきて沈み込み始めたのは新第三紀のことです。
イザナギプレートが、大陸の縁に対して斜めに沈み込んでいたため、大陸の縁に北へ引きずる力がかかりました。そのため大陸の東部に、何列もの左横ずれ断層群ができました。
現在のジュラ紀付加体の分布をみると、大陸北東部に片寄っています。大陸東縁のジュラ紀付加体の内部にも横ずれ断層ができ、それらの断層によりジュラ紀付加体のうち海溝寄りの部分が北へずらされていったという考えがあります。この図は、日本列島でも、ジュラ紀付加体をずらした断層は、中央構造線の前身だけでなく何列かあったという考えで描かれています。
(現在のジュラ紀付加体が、もともとどこにあったかは、描かれていません。外帯と内帯の、ジュラ紀付加体の食いちがい量は、研究者により100km~2000kmまで、見積もりに大きな違いがあります。

