2026.4.24
人生を逆転

まさかは起きる!「人生を逆転」させた人の共通点
プロの言葉に学ぶ「暗闇」からの抜け出し方!

世の中に期待しない。その覚悟だけでも、人生は変わる
仕事でもプライベートでも、何か行動を起こすには、背中を押してくれる言葉の力が必要です。3000人以上の一流のプロフェッショナルを取材してきた上阪徹氏が、最高の言葉を選りすぐって1冊にまとめた『1分で心が震えるプロの言葉100』の中から、さらに厳選したプロの言葉を紹介します。今回は、「人生や仕事のモヤモヤ」から解放されるための言葉。不運が続きすぎて未来が見えないと落ち込んでいるときに、心に響く言葉です。
あの名経営者の人生は苦労の連続だった

前回の「そうなんだ!『芸能界だって、実力1割、運9割』」に続き、3回目の今回も、20年以上にわたって取材してきた一流のプロたちの言葉の中から選りすぐった最高の言葉をお届けしたい。
「苦労や試練に直面したときは、自分は幸運だ、と思えばいい」
――稲盛和夫(京セラ名誉会長)

稲盛和夫さんの人生は、苦労の連続だった。中学受験に失敗。結核を患い、空襲によってすべてを失い、ようやく故郷・鹿児島の地元大学に入ったと思ったら、不況で就職すらままならなかった。ようやく入った会社は大変なボロ会社で、まさに今にもつぶれそうだった。会社は赤字、労働争議は頻発。給与は遅配。同期入社した大卒5人は次々に辞めていった。

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「私の人生はどうして何をやってもうまくいかないのか、と思い悩みました。しかし、もう不平不満をぶつける相手もいない。そこで私は1人になって、考え方を変えたんです。いつまでも世間を恨んでいても仕方がない。希望を捨てないで、すばらしい未来があると信じて仕事に打ち込んでみよう、と」
とにかく研究に没頭しようと決めた、満足な実験装置もなかったが、頑張れと自分を励まし、寮からなべ、かま、布団、七輪まで研究室に持ち込んで、朝から晩まで実験三昧の日々を送った。すると、すばらしい実験結果が出るようになった。
「人生の命運を分けたのは、運不運ではなく、心の持ちようだったのです」
もし就職がうまくいっていたらどうだったか。それなりに頑張ったかもしれない。でも、これほどは頑張らなかっただろう。今ほど納得のいく人生が送れなかったかもしれない。
「豊かな時代は自ら苦労に飛び込まないといけない。だから試練に遭ったときには、むしろ幸運だと思ったらいいんです。その意味は年をとってから必ずわかります」
若い頃の苦労は買ってでもしろ、という言葉がある。それは真実だと、私自身も強く思う。
可能性はゼロではない
生きていれば、誰しも苦しいときを迎える。いいことばかりの人生なんて、あるはずがない。だからこそ、苦労や試練に直面したとき、どう振る舞うかが大切になる。自暴自棄になったり、誰かのせいにしたり、世の中を憂えたところで、何も解決しない。
稲盛さんの言う「心の持ちよう」は、多くの成功者へのインタビューから感じたことだった。起きていることから逃げない。できるだけポジティブに捉えようとする。すぐに成果が出なくても努力を続ける。「心の持ちよう」こそが、人生の命運を変えていくのだ。
この人の場合も、そうだった。
「まさかがあるのが人生。自分の知らない自分は必ずいるんです」
――野村克也(元プロ野球監督)

野村克也さんは、プロ野球選手として、監督として輝かしい実績を残した。しかし、スタートは南海ホークスのテスト生からだった。1年目が終わったとき、解雇通知を受ける。
「もう絶望の淵でした。合宿所の窓もない3畳の部屋でね、将来を考えると不安でした。でも可能性はゼロではないはずだと思った。試合がダメなら練習で見てもらうしかない。以降、練習の時間がアピールの場になりました。グラウンドの外も勝負でした」
合宿所の庭で誰かが200回素振りをしていたら、400回素振りをした。人の倍のトレーニングをしようと決めた。一軍なんて雲をつかむような話。しかし、努力は天才に勝ると信じるしかなかった。基礎は単純なトレーニングの繰り返し。力のある選手は器用な人が多いから、単純作業の継続は苦痛。そこにチャンスがあった。
「何でもそうですが、基本がマスターできていないと、応用はできません。そのときにしっかりと基礎をつくれていたことで、応用という次の段階に進むことができたんです」
努力が実を結び、少しずつ少しずつ、結果が出ていった。
「自分には自分の知らない自分がある、という言葉を、私は野球を通して実感しました。まさかまさかの連続でしたから、でも、まさかがあるのが人生。自分の知らない自分は必ずいるんです」
実は野村さんの故郷と私の故郷はすぐそば。「おぉ、豊岡高校か。練習試合で行ったなぁ」なんて話もさせてもらった。静かな語り口の、素敵な紳士だった。
「いつかはやってやるぞ」
実は私自身、28歳のときに会社が倒産して失業、何もかも失い、なし崩し的にフリーランスになった経験を持つ。当時は、未来はまさに暗闇だった。ところが、想像もつかないような未来が待ち構えていた。野村さんのいう「まさか」が私にも起きたのである。
どん底に落ちたときでも、自分を信じることだ。ただし、信じるに足るだけのことをしておかなければいけない。同じことをしていて、結果が変わるはずがない。私の人生を一変させたのは、エゴをかなぐり捨て、「自分のために働かない」というマインドチェンジをしたことだった。
この人だって、こんな経験を持っていた。
「20代では、転職どころか最初の職にもつけませんでした。」
――齋藤 孝(明治大学教授)

齋藤孝さんは、テレビのコメンテーターとしてもおなじみ。ベストセラーとなった書籍も数多い。ところが実は苦しい時代があった。東京大学で博士課程を終えてから、しばらく定職に就けなかったのだ。
「20代では、転職どころか最初の職にもつけませんでした。これは本当に苦しかった。つらかった。絶対、10倍にしてお返ししてやるって思っていました」
インタビューしたのは、『声に出して読みたい日本語』がベストセラーになった頃。
「『本が売れてよかったですね』などと言われることがありますが、まだまだ勘弁してやらないですよ(笑)。もっともっと仕事をさせてもらわないと、あのときの借りは返せない。そのくらい苦しい時代でした」
齋藤さんはそんな状況になっても、「いつかはやってやるぞ」と、みんなに言いまくっていたという。自分はこんなものではない、という意識も強かった。そう言えるだけの勉強もしていた。質の高さだけでなく、量も追っていた。日本でこれ以上勉強しているヤツはいないだろう、くらいの勉強をした。
「そんな毎日を支えていたのは、こういう教育をいずれやるんだという志だったと思います。サッカー日本代表で、自分のためでなく、日本のために頑張ろうという思いが頑張りにつながると発言した選手がいましたが、あれと同じです」
志やビジョンがあれば、頑張れる。そして志は、人を、仕事をひきつけるのだ。
たくさんの成功者にインタビューをしていて、いくつもの共通項を感じたが、幸せのバーが高くない、というのもそのひとつだった。小さな喜びにしっかり気づけるだけでなく、それを大きな喜びに変えられる。だから、日々が充実する。みなさん、自分を喜ばせるのが、うまいのだ。
もとより人生は、理不尽で不平等で不合理なものだと認識できていたとしたらどうか。生きていくのはそもそも大変なのである。努力が報われるとも限らない。そう思えば、そのつもりで行動するようになる。自分に納得できるようになる。
世の中に期待しない。その覚悟だけでも、人生は変わる。誰かが幸せにしてくれるわけではない。幸せは、自分が見つけるのだ。

