2025.1.17
阪神淡路大震災
1995年1月17日は阪神淡路大震災が起こった日です。朝テレビを見ていて、兵庫県で夜明け前5時46分に大きな地震が起きた。日の出が7時過ぎなので、まだ暗闇。市民や行政機関、報道も何が起きたか解らない状態が続いていました。電波塔、通信ケーブルが被害を受けたようで、固定電話、携帯電話が繋がりません。その後、高速道路が倒壊し、バスが宙吊りになっているなど、大規模な地震被害が起きていることが判明しました。
震災後の西宮市
顧客(法人)が西宮市に居られたので、連絡しますが繋がりません。やっと連絡が取れ2週間後2月1日、ワゴン車に支援物資を詰め込み兵庫県西宮市に向かいました。朝4時に出発し、姫路市までは高速道路が利用できましたが、その先は通行止め。姫路西インターで降りて、80㎞を5時間かけて西宮市まで行くことができました。西宮市は倒壊した建物はありましたが、テレビで見る神戸市ほど被害はない様でした。顧客も通常営業されていましたが、流通が満足ではなく支援物資には大変感謝されました。
お茶の備蓄
災害が起き、電気水道ガスがストップすると、食料などの流通もストップします。食事は3週間無くても死なないようですが、水は4~5日摂取しなければ死にます。災害対策として個人的に3か月分のお茶を備蓄して、お風呂の水も常時溜めています。
電波塔の被災を想定し、ガーミンのナビとYAESU無線機(無線技士資格有)を日頃から使っています。スマートフォンは便利でナビや無線機などの機能は全て網羅していますが、登山する時は圏外で使えないのでナビ専用機、無線機、コンパスは必須だと思います。
耐震基準強化
阪神淡路大震災後変わったのは耐震基準です。2000年の新耐震基準で旧震度基準は震度5を想定したものでしたが、阪神淡路大震災は震度7を記録しました。
新耐震基準は震度7でも倒壊しない建物を、建築確認で求めています。①地盤に応じた基礎設計、②接合部に金具取付、③偏りのない耐力壁の配置、を義務付けました。
東日本大震災
阪神淡路大震災から16年後、2011年3月11日14時45分、マグニチュード9.0という日本周辺観測史上最大の地震「東日本大震災」が発生。死者・行方不明者22325名の大災害となりました。
帰宅難民
地震発生時、パッケージソフトの開発販売をしていて、首都圏に多数の顧客がおられました。職員が神奈川県から新宿まで帰る途中で、東京は震度5強で、建物の倒壊は無かったようですが交通機関は全てストップ。新宿の事務所まで途上は帰宅難民という新しい現象に悩まされ、徒歩で12時間かかったようです。
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震災後の西宮市
顧客(法人)が西宮市に居られたので、連絡しますが繋がりません。やっと連絡が取れ2週間後2月1日、ワゴン車に支援物資を詰め込み兵庫県西宮市に向かいました。朝4時に出発し、姫路市までは高速道路が利用できましたが、その先は通行止め。姫路西インターで降りて、80㎞を5時間かけて西宮市まで行くことができました。西宮市は倒壊した建物はありましたが、テレビで見る神戸市ほど被害はない様でした。顧客も通常営業されていましたが、流通が満足ではなく支援物資には大変感謝されました。
お茶の備蓄
災害が起き、電気水道ガスがストップすると、食料などの流通もストップします。食事は3週間無くても死なないようですが、水は4~5日摂取しなければ死にます。災害対策として個人的に3か月分のお茶を備蓄して、お風呂の水も常時溜めています。
電波塔の被災を想定し、ガーミンのナビとYAESU無線機(無線技士資格有)を日頃から使っています。スマートフォンは便利でナビや無線機などの機能は全て網羅していますが、登山する時は圏外で使えないのでナビ専用機、無線機、コンパスは必須だと思います。
耐震基準強化
阪神淡路大震災後変わったのは耐震基準です。2000年の新耐震基準で旧震度基準は震度5を想定したものでしたが、阪神淡路大震災は震度7を記録しました。
新耐震基準は震度7でも倒壊しない建物を、建築確認で求めています。①地盤に応じた基礎設計、②接合部に金具取付、③偏りのない耐力壁の配置、を義務付けました。
東日本大震災
阪神淡路大震災から16年後、2011年3月11日14時45分、マグニチュード9.0という日本周辺観測史上最大の地震「東日本大震災」が発生。死者・行方不明者22325名の大災害となりました。
帰宅難民
地震発生時、パッケージソフトの開発販売をしていて、首都圏に多数の顧客がおられました。職員が神奈川県から新宿まで帰る途中で、東京は震度5強で、建物の倒壊は無かったようですが交通機関は全てストップ。新宿の事務所まで途上は帰宅難民という新しい現象に悩まされ、徒歩で12時間かかったようです。