2025.3.11
東日本大震災
14年前の2011年3月11日14時46分に、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生しました。3.11あの日を忘れないとして、イベント、オンライン企画、テレビ番組、追悼行事などが開催されます。冊子も多く出版されています。
あの日を忘れない

東日本大震災を風化させないために、親から子へ、語り継いでいきたい珠玉のドキュメンタリー集。「ほんの森でまってる~原発避難区域・飯舘村の本屋さんより~」 震災後、村を守った「ほんの森いいたて」の物語。「もう一度 青葉の杜~帰ってきた喜久屋書店漫画館仙台店!~」 震災に負けずに再オープンした喜久屋書店漫画館仙台店の奇跡。
東日本大震災の被害

被害状況は、死者、行方不明者合わせ22303人。住宅被害1154893棟でストック(社会資本・住宅・民間企業)への直接的被害は、約16.9兆円と未曾有の甚大な被害となりました。
明治以降では南関東から東海地域に及ぶ巨大地震、関東大震災(死者105385人)に次ぐ被害を記録。
東日本大震災で特筆すべきは、巨大津波と福島原発事故です。
巨大津波

東日本大震災で被害が大きくなった理由は、巨大津波が発生したことによります。
陸地の斜面を駆け上がる津波の高さを表す「遡上高」は、国内観測史上最大となる40.5mが観測されました。浸水範囲面積は、561k㎡で、山手線の内側面積の約8倍に相当します。
津波が巨大化したのは、周辺水深3千m~5千mと深い為です。津波は海が深いほど早く伝わり、浅いほど遅くなり、避難がおくれました。海底から海面迄の全ての海水が動くため、巨大津波となりました。
福島原発被害

1986年4月26日、ソビエトのチェルノブイリ原発4号炉が爆発・炎上。ソビエトは当初この事故を公表せず、周辺住民の避難措置もとりませんでした。半径30㎞圏内116000人が被爆したとされます。
福島原発では事故翌日3月12日、1号機の圧力上昇を受け政府が10㎞圏内の住民に避難指示を出しました。これにより放射能による被害は防ぐことができました。
一覧に戻る
あの日を忘れない

東日本大震災を風化させないために、親から子へ、語り継いでいきたい珠玉のドキュメンタリー集。「ほんの森でまってる~原発避難区域・飯舘村の本屋さんより~」 震災後、村を守った「ほんの森いいたて」の物語。「もう一度 青葉の杜~帰ってきた喜久屋書店漫画館仙台店!~」 震災に負けずに再オープンした喜久屋書店漫画館仙台店の奇跡。
東日本大震災の被害

被害状況は、死者、行方不明者合わせ22303人。住宅被害1154893棟でストック(社会資本・住宅・民間企業)への直接的被害は、約16.9兆円と未曾有の甚大な被害となりました。
明治以降では南関東から東海地域に及ぶ巨大地震、関東大震災(死者105385人)に次ぐ被害を記録。
東日本大震災で特筆すべきは、巨大津波と福島原発事故です。
巨大津波

東日本大震災で被害が大きくなった理由は、巨大津波が発生したことによります。
陸地の斜面を駆け上がる津波の高さを表す「遡上高」は、国内観測史上最大となる40.5mが観測されました。浸水範囲面積は、561k㎡で、山手線の内側面積の約8倍に相当します。
津波が巨大化したのは、周辺水深3千m~5千mと深い為です。津波は海が深いほど早く伝わり、浅いほど遅くなり、避難がおくれました。海底から海面迄の全ての海水が動くため、巨大津波となりました。
福島原発被害

1986年4月26日、ソビエトのチェルノブイリ原発4号炉が爆発・炎上。ソビエトは当初この事故を公表せず、周辺住民の避難措置もとりませんでした。半径30㎞圏内116000人が被爆したとされます。
福島原発では事故翌日3月12日、1号機の圧力上昇を受け政府が10㎞圏内の住民に避難指示を出しました。これにより放射能による被害は防ぐことができました。